ヤスジのかるい思い出話(ヤスカル話) HOME
第二話 今日からぼくも東京人 ヤスカル話目次

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第一回 (2001.9.15 UP)

引越しの荷物が届くまでには、まだしばらくありそうだった。

ぼくを乗せた急行八甲田は、今朝の7時少し前に上野駅に着いた。そこから山手線と中央線を乗り継いで、ここ阿佐ヶ谷のグリーンアパートに着いたのが午前8時を少し回った頃だった。きのうの夕方に青函連絡船に乗ってから十数時間がたって、今日のぼくはもう東京の人となっていた。

なんにもない、がらんとした六畳一間の畳の部屋には朝の光が差し込み、睡眠不足の気だるさと、朝の光のすがすがしさとが一緒になって、あたかも夢の中にいるかのような現実感のない時間が流れていた。

ドン、ドン、ドン。
「浅倉さーん、お荷物でーす」
お昼近くになって誰かがドアを叩く音で目が覚めた。いつのまにか眠ってしまっていたようだ。ドアを開けるとでっかい布団袋を背中にしょった、帽子をかむったおじさんが立っていた。
「はい、おまちどうさま」
どっこいしょとその布団袋を玄関先に押し込むとおじさんはさっさと帰っていった。

引越しの荷物はまず布団だけが届いたのである。布団はチッキで送ったため先に届いたのだ。チッキとは、今ではもう廃止されてしまったようだが、自分が乗る列車に大型手荷物として一緒に積みこんで送るという、かつての国鉄が行なっていた格安の運送手段だ。

3月半ばの東京は、きのうまで暮らしていた雪が積もった函館とは比べものにならないくらい暖かい、とは言っても、やはりまだ寒かった。さっそく布団を布団袋から取り出して、今まで寒くて脱ぐことがでずに、きのうからずっと着たままだったジャンパーを脱いで布団にもぐりこんだ。ここ東京で、きのうと同じ布団に入っているという事実に、なんとなく少しせつなさを感じながら、ポカポカと温まってきた心地よさに誘われて、そのまま深い眠りへと落ちていった。

(つづく)

いよいよ始まる東京新生活。期待と不安でいっぱいだ。なにはともあれ仕事をしなくては。スポーツ新聞の求人欄で見つけた仕事とは?何もかもが初体験。がんばれヤスジ!これから始まるヤスジの大冒険にご期待ください!!

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第二回 (2001.10.18 UP)

ぶろろろろん。
トラックの止まる音で目が覚めた。午後2時を回った頃、ぼくの引越し荷物を積んだクロネコのトラックがグリーンアパートの前で止まった。引越しの荷物といっても全部で14個口のこじんまりしたものだから、運転手とその助手の二人だけで10分くらいで全部運び込んでしまった。この14個とはじめに届いた布団袋の合計15個口がぼくの全財産だ。そのほかには財布の中に、きのう函館を離れる時に母親がこっそりくれたへそくりの3万円と、わずかな小銭があるだけだった。 来月分の家賃は前金でもう納めてあるので、とりあえずしばらくはなんとかなるだろうが、まずは稼がないことには先が続かない。

引越し荷物の片付けもそこそこに裏のファミリーマートへ行って、いなり寿司とウーロン茶の1リットルパックとスポーツ新聞を買ってきた。上京したてのぼくには、仕事を探す手段は新聞の求人広告しか思いあたらなかった。『日刊アルバイトニュース』などという求人雑誌があることは田舎もんのぼくにとって知る由も無いところだったのである。

田舎もんといえば、いくら本人は回りの東京人とかわらないと思っていても、上京したてのぼくの体からは田舎臭さが漂っていたのであろう。数週間前、東京へアパート探しに来たときの事だ。上野駅周辺をうろうろしていると2回も自衛隊への勧誘を受けてしまった。

「君、なんか仕事してんの?」
「いえ、別に」
「なに?いつもフラフラしてるのかい。どう、自衛隊入んない?」
「いえ、4月から学生になるんです」
「え、どこ?日体大?」(なぜか体育会系と結び付けたがる)
「いえN大です」
「ああそう・・・大学辞めて自衛隊入ろうよ」
「失礼します!!」

実はこの時ばかりではなかった。2ヶ月ほど前に受験で上京したときにも上野界隈をうろついていると「どう?自衛隊」「お、いい体してるね。自衛隊どう自衛隊」何度も声をかけられていた。

また、新宿の駅構内を歩いていた時には胡散臭そうなおっさんがよって来たかと思うと「パンパン、パンパン」と耳打ちしてくる。はじめ何のことかわからずきょとんとしたがすぐに売春を斡旋しているのだということがわかり、怖くなってそそくさとその場を逃げてきたということもあった。

どうやらぼくからは隠し切れない田舎臭さが発散されていたようだ。

さて、さしあたっては4月8日の入学式までの2週間をなんとかしなくてはいけない。ちょうどいい具合のアルバイトでも載っていないかと思いながらスポーツ新聞の求人広告欄をめくってみると「土工さん 日給8000円 食住完備 10日間契約制」という広告がやたらと多い。

土工ってなんだべ?土方のことかな。なんだかよくわかんねぇけど住み込み10日間の日給8000円っていうのは悪くないぞ。ちょうど入学式の前までの仕事だし。よし、ここに電話してみるべか。

きのうまで親元でぬくぬくと暮らしていた世間知らずのぼくは土工なんていう言葉も知らなかったし、食住完備10日間契約制の意味するところもよくわかっていなかった。なにはともあれ働かなくてはと思い、まずは電話をしてみることにした。

時計を見るともう午後5時半を回っている。「今日はもうこんな時間か。いまからじゃちょっと遅いから明日にするか」なにかようやく逃げ道を見つけ出したかのように自分を納得させ、電話は明日することにした。

そしてやりかけだった引越し荷物の片付けをしながら、夜はだんだんと更けていくのであった。

(つづく)

こうしてヤスジの東京生活第1日目は過ぎていった。こんな調子で世間の荒波を越えていけるのか。初めてのアルバイトがいきなりの・・・!?次回をお楽しみに!

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第三回 (2002.02.04 UP)

東京生活二日目の夜が明けた。

数少ない家財道具は壁に沿うように配置され、6畳一間のその部屋はがらんとしていた。そのがらんとした部屋で迎えたはじめての朝だった。

目が覚めると同時に、急激な寂しさが襲ってきた。今までは親元で暮らしていたから、家の中には必ず誰かがいた。それが今日からは誰もいない。そしてこれから先もずっと一人ぼっちなんだという寂しさが襲ってきたのであった。これがホームシックってやつかな、などとぼんやり考えながら、のそりのそりと布団から抜けだして水道の冷たい水で顔を洗った。

ちょっと憂鬱な気分のまま裏のファミリーマートで昼食に近い朝食を仕入れてきて腹ごしらえを済ますと、もうホームシックなどとは言っていられなかった。きのう目星をつけておいたスポーツ新聞の求人広告「土工さん 日給8000円 食住完備 10日間契約制」へ電話をかけるためにまた裏のファミリーマートまで行き公衆電話に10円玉をころがした。

「あの・・・、日刊スポーツの求人欄を見たんですけど・・・」
「ああ、そう。いつからできるの?」
「あ、え、えっと、すぐにでも」
「そう、じゃあ準備してすぐに来てください。場所はね・・・」
「あ、あの、と、とりあえずお話を伺おうかと思って電話したんですけど」
「・・・・・・・・・」
「やってもらう仕事は土工さんね。10日間で給料は1日8000円。新聞に書いてあるとおりだよ」
「あ、はあ」

土工という言葉さえ知らなかったぼくには、展開があまりにも早すぎて、とてもついていけなかった。

「とりあえずお話を伺いにそちらへ行ってもいいですか?」
「・・・あ、いいよ。今から来る?」
「はい、行きます」
「場所はね、鶯谷なんだけど駅からすぐのところだから、鶯谷の駅に着いたらまた電話かけてくれる?阿佐ヶ谷から来るの?それじゃあ1時間くらいだね」
「はい、わかりました。伺います」

電話を受けたほうも驚いていただろう。いまだかつて、話を聞きたいから事務所まで来るなんていう人はいなかったのではないだろうか。そこへ電話をかけてくるのは、すぐにでも現場に入って働きたい人ばかりのはずだ。しかし、ぼくにとってはそれがはじめてのアルバイトとなるので、本当に右も左もわからないといった状態だった。

アルバイトをするにはまず面接を受けて説明を聞き、採用となれば、いついつから来てくださいと言われて働き始める、そう思っていたところへ、急に「それじゃあ準備をして来てください」と言われても、何を準備すればいいのか、どういう仕事をするのかがよくわからなかった。土工=土方ということはうすうす分かってはいたものの、どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのである。

簡単に身支度を整えて鶯谷まで行くと、改札を出たすぐのところの電話ボックスからまた電話を入れた。

「いま着きました。改札を出たところの電話ボックスから電話しています」
「ああ、着いたね。ちょっとそこから上を見てみてくれる?目の前のマンションの上のほうね」
そう言われて上のほうへ目をやると、7階くらいの窓から誰かが手を振っている。
「どう、見えた?おーい、ここ、ここ。ここだからすぐに上ってきてよ」
「はい、わかりました」

そのマンションの教えられた部屋の前まで行って呼び出しボタンを押すと、年のころなら五十手前といった感じのこぎれいな紳士風のおじさんが顔を見せた。この人が電話の主のようだ。

「はい、いらっしゃい。まあどうぞどうぞ。ここまで話を聞きに来る人もめずらしいよ。あ、別にそんなに緊張しなくてもいいからね」

部屋に通され、出された珈琲をすすりながら、その紳士から簡単に説明を聞いた。説明といっても新聞広告に書いてあること以外に特にこれといって説明するようなこともなく、同じような内容を繰り返して聞いただけだった。

「やってもらうのは土工さんね。現場で監督の指示どおりにやればいいから。あとは、食費と寮費で1日1500円引かれるから手取りで1日6500円になるね」

“現場で監督の指示どおりに”と聞いてやはり土方の仕事だったんだなということがようやく確認できた。それよりも1日1500円引かれるというのは予想外の言葉でちょっとひっかかったがここまで来た以上もう引き下がれなかった。
「それではおねがいします」

「ちわーっす」
「こんちわー」
その紳士としばらく世間話をしているうちに時計もすすみ、午後3時を少し回った頃だ。ひと目で現場作業員と分かる風体の男たちがどやどやとその部屋へ集まってきた。みんな薄汚れたボストンバックを手にしている。 するとその紳士はぼくに言った。

「本当だとこの人たちと一緒に行ってもらうつもりだったんだけど、今日は何も準備してきてないんでしょ。いいよいいよ。君には明日から行ってもらうから。明日は準備して3時半までにまたここに来てね」

どうやらその事務所は就職者の集合場所で、ここから各現場へ送り込まれるという仕組みになっているようだった。

「準備というと・・・、なにを準備してくればいいんでしょうか?」
「・・・・・・・・・」
紳士は一瞬言葉を失っていたが、すぐにやさしく答えてくれた。
「ほら、10日間行くわけだからパンツだとか着替えだとかさ。まあ、向うに行けば何でも置いてあるから手ぶらで行っても大丈夫なんだけど、余計なお金は使わないほうがいいでしょ」

なるほど。ここにきてようやくこれから自分がやろうとしている仕事がどういうものであるかが飲み込めた。「わー、こりゃえらいことになったな。やめたいなー。えーい、もうしょうがない。覚悟を決めよう!」そう思った時だった。

「おーい、みんな集まってっか。お、すぐ行くぞ。おお、お前またきてんのか。手土産持ってきたのか。なーんだよ、これから仕事貰おうってのに手土産ひとつなしかよ。しょーがねえな。よし、出発するど。モタモタすんなよ」

本気とも冗談とも取れるような口調の荒くれ男が部屋へ入ってきた。
「サ、サ、みんな出発だよ。しっかりな。よろしく頼みますよ」
紳士はみんなをやさしい言葉で送り出している。
「よし、行くど!」

嵐のようにやってきた荒くれ男は、みんなを引き連れてあっという間に去って行った。 その荒くれ男は作業員たちを現場まで運ぶ役目のようだった。

「びっくりした?あいつも口は悪いけど、いいやつなんだよ。じゃあ、あしたね」
「はい、よろしくおねがいします」
やっぱりこりゃえらいことになったなと思いながらぼくはグリーンアパートへと帰って行った。

(つづく)

度肝を抜かれたヤスジ。しかしヤスジはこのまま尻尾を巻いて逃げ出すような男ではない。高速道路をどこまでも突き進むワゴン車に乗せられたヤスジが送り込まれた先とは!?悪戦苦闘の土方生活がいよいよ始まります!!

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第四回 (2002.02.05 UP)

さて、翌日。

当時、すでにまったく流行っていなかった“MADISON SQUARE GARDEN”のロゴが入ったスポーツバッグ(いわゆるマジソンバッグ)に、数枚のパンツと着替えの服を詰めて準備を整えると、「まだこの部屋では2日間しか寝ていないのに、もうしばらく帰れないんだな」と妙なさみしさを感じながらアパートのドアを閉めた。

オレンジ色の快速電車に乗って神田まで行き、鶯谷へ向かう山手線に乗り換えた時だった。ふと昨日の荒くれ男の言葉が頭に浮かんできたのである。
「これから仕事貰おうってのに手土産ひとつなしかよ。しょーがねえな」

そうか、こういうときには手土産を持っていかなくてはいけないだ。どうしよう。そうだ、上野駅のキヨスクなら適当なものが手にはいるかもしれない。途中下車して買っていこう。

けなげにも、世間知らずの哀しさか、上野駅のキヨスクで800円の菓子折りをひとつ買って鶯谷のマンションへ向かった。

ドア開けると昨日の紳士がやさしい顔で迎え入れてくれた。
「これ、つまらないものですけど」
さっき買ったばかりの菓子折りを差し出すと、
「えーっ、こりゃわるいね。やー、こんなことしてもらったのはじめてだよ」

なんだ、誰もこんな事しないのか。ちぇっ、800円損しちゃったな。
その頃のぼくにとって800円はかなりの出費だった。ちょっと悔しい思いをしていると、
「そうだ、君には本社の現場へ行ってもらうようにしてあげるから。まあ、そうかわらないんだけど、ほかの現場よりはちょっといいかもしれないよ。うん、そうだそうだ、そうしよう」
その紳士の言葉で、損をしたという思いは一転、お土産持ってきてよかったーという思いで顔がニヤけるのを隠すのに苦労した。

そのうち、ひとり二人と男たちが集まってきてぼくを入れて5人が揃ったところへ運転手らしい男がやってきた。昨日の荒くれ男とは違って、そんなに怖そうではない。

「じゃ、行きますか」
すると紳士が、
「今日はどこ行くの?」
「ん?今日は黒田」
「本社は予定ない?」
「うん、いま本社はいっぱいなんだよ。あと2、3日で空くと思うんだけど」
「ああ、そう」

その会話を横で聞いていたぼくには嫌な予感がしていた。すると案の定、
「ちょっといま本社の現場はいっぱいなんだって。君もこの人たちと一緒に行ってくれる?ま、どこもそうかわんないよ。がんばてっね」
「はい」

その部屋にいた男たちとぼくを乗せた6人乗りのワゴン車は、駅前の通りを抜けるとすぐに高速道路へあがって走り出した。上京したてのぼくにはそれがいったいどこに向かって走っているのか見当のつきようもなかったが、いま思うとあれは首都高速を千葉方面へすすんでいたようだ。運転はかなり乱暴なほうで、カーブを曲がるたびに男達のからだは右へ左へと揺さぶられていた。

いったいどこまで行くんだろう。行く先のわからないドライブほど長く感じるものはない。時間にすれば1時間くらい高速道路を走っていただろうか。そこがどこかは分からないが、高速道路を降りてからさらに細い県道を走りつづけた。だんだんと周りの風景も寂しくなってきて、そのうち見えるのは田圃ばかりになってきた頃、あたりはもうだいぶん闇につつまれていた。

ガリガリガリガリ。
砂利をひいた駐車場にワゴン車は止まった。どうやらここが終点のようだ。車の窓からおもてを見ると、目の前に建っている事務所風建物の看板が目に飛び込んできた。

「黒田組」

乏しい知識のぼくにもここが土建会社であることはわかったが、「○○組」というとどうしても暴力団事務所を連想してしまい、これから先どうなるんだろうという不安がさらに募っていった。

(つづく)

もうじき4月を迎えるというのに、空からはちらちらと白いものが落ちてくる。ここはいったいどこなのか。自分の居場所もわからないままヤスジの飯場生活が始まった。さあさあどうなる。どうぞ次回をお楽しみに!!

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第五回 (2002.11.02 UP)

車から降ろされたぼくたちは事務所の前まで行くと、事務所の窓越しにひとりひとりへ紙が渡された。

「そんじゃあ、これに記入して」
それには住所や名前などを記入するようになっていて、細かく規定のようなことも書かれているようなのだがそんなところまで読んでいる余裕はない。他の人たちに遅れをとらないように急いでまだ三日しか生活していない阿佐ヶ谷の住所を書き込んだ。

「すんません・・・、おれ、この前アパート出たばっかでまだ新しいとこ決まってねんすけど」
同乗して来た無精髭の男が事務所の人間に言っている。
「え、そうなの。んー、じゃあ、引っ越す前の住所でいいよ」
なんだ、ずいぶんいいかげんなもんだな。そう思いながらぼくは次の指示を待っていた。

「 それじゃこっち来て」
ぼくたちは事務所と向かい合わせに建てられている大きな二階建てのプレハブ小屋まで案内されると
「あんたとあんたはこっち、あんたたちはこっちね」
ぼくたちは二人と三人に分けられ、三人の組になったぼくは手前の部屋へ案内された。

「この人たち今日からだから、よろしくお願いしますね」
ぼくたちが案内人から紹介されると、その部屋にいた十数人の顔がいっせいにこちらへ向けられた。

その部屋には1メートル間隔に二列で整然と布団が敷かれていて、その布団1枚1枚に寝そべったりあぐらをかいたりした男たちがいた。その布団1枚分のスペースが彼らのプライベートな空間なのだ。

ひゃ〜、まるで刑務所だ。実際の刑務所内を見たことはないがそんなイメージが浮かんだ。これから10日間もここで過ごすのか。いやだなー、帰りたい帰りたい。
しかしもはや後戻りは出来ない。

「ここあいてんの?じゃ、きみはここね」
案内人からぼくには初老の男性のとなりの布団を与えられた。

「今日から来ました浅倉といいます。よろしくお願いします」
新入りの受刑者が牢名主に挨拶でもするかのようにその男性に挨拶をすると、
「今日はさみいべ。さっきゆぎふってねがったか」(今日は寒いだろ。さっきは雪が降ってたんじゃないの。)
挨拶を返す代わりにいきなり世間話をはじめた。

「あんたずんぶ若けえな。バイトか?んだか。夏とかだば、夏休みでそういう人もいっけど、この時季にバイトでくるってのもめずらしいな。あんま見たことねえで」(君はずいぶん若いね。バイト?ああそう。〜中略〜あんまり見たことないな。)

馴染みのある東北なまりのしゃべり方に少しほっとした気分でぼくは重たい布団にもぐりこんで寒さをしのぎながら、大音量で流れているテレビの水戸黄門を見るとは無しに眺めていた。

水戸黄門が終わってもこれといってすることもない。持ってきた文庫本を開いてはみたが気が散ってまったく先にすすまない。煙草でも吸おうかと枕もとに置いた煙草の箱に手をのばすとそれが最後の一本だった。ぼーっと本を読むふりをしながら煙草を吸い終わると、そういえば下の事務所では何でも売っているといってたな、布団の中でぼーっとしているのもつらくなってきたので煙草を買いがてら外へ出てみることにした。

煙草の味は18の頃におぼえていた。自宅で大学受験のための浪人をしていた頃、浪人仲間のM君と一緒に通っていた図書館のロビーや、夜中の勉強の合間、親に隠れてこっそりと吸っていた。それはせいぜい1日に5〜6本だったが東京へ出てきてからは1日一箱くらいは吸うようになっていた。

「すいません、マイルドセブンライトありますか」
事務所の窓口から中の人へ声をかけた。
「ライトはなかったな。マイルドセブンならあるけど」
「じゃあ、セブンスターふたつ」
「え、あ、セブンスターね。ほい、ふたつ。えーっと、君はなにさんだっけ?」
「浅倉です。あっと・・、お金は?」
「いいよいいよ、つけとくから。浅倉さんね」
どうやらここでの買い物はあとで給料から引かれる仕組みになっているようだった。

買ったばかりの煙草をポケットにしまいながらフラフラと外へ出てみると電話ボックスが目に入った。煙草を買うために持ってきた小銭はポケットの中にある。急に人の声が聞きたくなって思わず受話器を手に取ると、カシャカシャと10円玉を何枚も入れて函館の実家の番号を押した。

トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、
「はい、浅倉です」
聞きなれた母親の声がした。
「ぼくや」
「あら、元気でやっとるが?どうしとんが?」

函館へ引っ越したのはぼくが小学校3年生の頃で、それまでは金沢に住んでいたから実家ではいつも金沢弁だ。

「たいへんなことになっとるわ。今日から住み込みで土方のバイトにきとんがや」
「すごいじ。住み込みって飯場にきとんがか」
「なんかわからんけど、プレハブのでっかいがや。そこの大部屋で10人以上の人と一緒や。刑務所におるみたいやわ」
「はっはっは、刑務所か」
軽く笑ってはいるが心配そうな様子は感じ取れる。
「どっか遠いとこまで行っとるがか」
「うーん、よくわからんけど千葉のどっかやと思うわ。車で連れてこられたからどこかよくわからん」
ビーーーーーー
「あ、もう切れるわ。10円ないからもう切るね」
「ほんなら、がんばって」
「うん、ほんならね」

函館までの長距離電話はあっという間に切れてしまった。それでも受話器を置くと、おなかのあたりがちょっと温かくなったのを感じながらそのまま飯場へ戻ってまた布団にもぐりこんだ。しばらくすると事務所の人間と思われる人がやって来て
「じゃ消すぞ。いいかあ、消すぞ消すぞ。はい、おやすみ」
10時が消灯時間のようだ。大部屋は窓から入り込んでくる外灯の灯かりだけの部屋になった。

ぼくは緊張と不安を秘めたままいつしか深い眠りに落ちていったのだった。

(第一部完結)



この話はひとまずここでおしまいとします。

このあと実際に働き始めたわけですが、その間にも色々と珍事件がありました。

おなかを壊して現場近くのデパートのトイレに駆け込んで用を足したところまではよかったものの、そこは女子トイレだったことに気が付いてなかなか出て行けなかったり、重たいセメント袋を運ばされて腰が抜けそうになったり、ビルの建築現場の上のほうの足場に置いてあった鉄パイプをうっかり下まで落っことしてしまったり。

さらに、10日契約満期を迎えてのエピソードとしては、満期10日目が土曜日だったため金融機関がやっていないという理由で給料はもらえず、そういう場合は月曜日まで働かなければいけないということを知らされたときの狼狽振りや、満期を迎えて帰るはいいが、現在地もわかっていないのにどうやって帰ればいいのか途方に暮れたり。(当然のことながら連れて来られるときは車でも、帰りはその場でハイさようならなのです。)

そんなこんなでぼくも少しずつたくましくなっていきました。

これらのエピソードはそのうち番外編というかたちで書ければいいなと考えています。

それでは第3話でまたお会いしましょう。
最後までお付き合いいただけた方、ありがとうございました。
途中で飽きちゃった方、ぼくももっと精進します。
ひとまず、さようなら。

2002.11.2 ヤスジ

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