2007年版 ヤスジの函館帰省ものがたり
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ノスタルジアの巻

最後に、あくまで個人的郷愁のみの写真集です。同郷のごく一部の人には懐かしいものがあるかもしれません。とりあえずいっときます。


大森浜
大森浜
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潮の流れが速いうえ、波打ち際からわずか2、3メートルほど行くと急激に深くなるという危険な海岸のため、遊泳禁止になっています。それでも中学生の頃にはたまに泳いでいました。危険な浜のスリルを楽しんでいた記憶があります。無事だったからよかったものの、今にして思えばちょっと洒落になりません。

小学生の頃はこの浜でよく投げ釣りをしました。テノヒラガレイ(手の平ほどの小さなカレイ)がよく釣れました。焚き火をしてその場で焼いて食べたりもした思い出深い海岸です。

この角度から見る函館山が、牛が伏しているように見えるところから臥牛山と呼ばれるようになったと聞いたことがあります。と言われても、伏しているようには見えないです・・・。

ちなみに位置的にはこの辺↓です。





摩周丸
摩周丸
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青函連絡船「摩周丸」が保存展示されています。中にも入れます。(有料)
青函トンネルが完成開業する1988年までは、青森と函館を結んでいたのは青函連絡船でした。学生の頃は、帰省する時には上野発青森行きの急行八甲田に乗って、青森からこの青函連絡船に乗り継いで函館まで帰ってきていました。八甲田約12時間、連絡船約4時間、合計16時間の長旅でした。

船の4時間はずいぶん長く感じられたものです。ただ、船には普通の座席のほか、座敷席もありましたので、ごろりと寝転がることもでき、楽と言えば楽だったかもしれません。(枕も用意されていた。) 入ったことはないのですが麻雀ルームもありましたし、温水のシャワーも完備されていました。そういえば食堂もありましたね、入ったことはなかったけど。とにかく貧乏でしたから、オプション的なサービスは一切利用しませんでした、、、貧乏なのは今も変わらないけど・・・。そういえば売店で冷凍みかんは買ってたな。




トンコウ自転車置き場
自転車置き場
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我が母校の自転車置き場。こんな写真載せるなー!いや、、、もしかすると同窓の方がこれを見て懐かしがるんじゃないかと思いまして・・・。 ほこりをかぶったスクラップのような自転車が何台か放置されているだけで、 どーもこの自転車置き場はもうずいぶん使われていないような雰囲気でした。 生徒がいなかったから自転車もなかっただけかな?ずいぶん砂ぼこりも溜まっていたので使っている感じはありませんでした。

高校時代は3年間の思い出しかないわけですが、多感な年頃だったせいか、もっともっと長い時間を過ごしたような気がします。 思い出が一杯です。この自転車置き場もいまだに夢に出てきます。なぜかここに自分のバイクを止めている夢です。当時はバイクなんて乗っていなくて、その夢に出てくるのは今の自分と今乗っているバイクです。ここに2,3日バイクを止めっぱなしにしておいて、盗まれていないだろうか、、、と心配している夢です。何でそんな夢?


トンコウ・グラウンド
ランニング
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これまたどーでもいい写真ですが、懐かしのグラウンドを見てついつい走りたくなってしまいました。高校生の頃サッカー部に在籍していたことがあって、毎日このグラウンドでしごかれていました。あの頃は今の合理的な練習スタイルとは違って、根性根性が当たり前の世界でした。練習中に水を飲んじゃいけなかったし。練習が終わってから水道の蛇口からごくごくと飲む水の旨かったこと旨かったこと。一気に5,6リットルは飲んでたんじゃないでしょうかね。





さてさて、長々と綴ってまいりましたが、そろそろお開きにいたします。では最後に帰京のときの列車の窓から撮った、「さようなら函館」です。この日(7/11)はずいぶん寒かったです。カラー写真なのにまるでモノクロのようなこの写真からも寒々した感じが伝わるかと思います。
車窓の風景


やっぱり最後はさわやかにこんな写真でさようなら。
空と海と貝
THE END
 
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おでん缶
ちなみに、帰省の際の函館の友人たちへのお土産にはこれを買って帰りました。
なんでやねん、、、だけどちょっとおもしろいでしょ?
秋葉原あたりで流行っているらしいということはみんな知っていました。




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