しぼってぼくのレモンを
2015年02月14日(土)


ぼくが一番最初にギターを弾きながら人前で歌ったのは、中三の時のお別れ会だった。卒業式が終わったあとだったかその前だったか、とにかくもうみんな卒業だということで、クラスでお別れ会をやったときに歌ったのが最初。いちご白書をもう一度。別に当時この曲が流行っていたわけではないし、卒業ということでこの曲を選んだわけでもない。ただたまたま、ちょうどそのときこの曲にはまってただけなんだと思う。
 
今調べてみたら「いちご白書をもう一度」は1975年のヒット曲らしいね。1975年じゃぼくはまだ小学生だよ。音楽にはまったく目覚めていなかった頃。だけどおそらくテレビとかラジオで頻繁に聞いていたんだろうね。いちご白書のメロディはちゃんと知ってて、歌本にコードが載っていたのを見ながら練習した。音源はレコードもカセットも持っていなかったんだけど、頭の中にあるメロだけで全部歌えた。
 
いい曲だなあと思って、自分で歌ったのをカセットに録音して何度も繰り返し聞いてたよ。レコードは持っていなかったから。なんか涙ぐましいけどね。そもそもこれを歌ってるのが誰なのかも知らなかった。バンバンとかユーミンとか知らなかったもん。毎日チューリップばっかり聞いてて、ほかはまったく興味がなかった。財津さんの影響でビートルズはちょっと聞いてたかな。
 
ビートルズは、友達から「これ屁くせえからけるわ(これダサイからやるよ)」って言ってアビイロードのレコードをもらったんだけど、聞いてみたらなるほどへくさい。全然知ってる曲は入ってないし、A面は途中でバシッって切れちゃってるし、B面はなんかだらだらと繋がっててどれがどれだかわかんないしで、子供だったんだねえ。これのよさに気がつくまでこのあと5年を要したな。
 
そんな屁くさい中学生だったぼくも高校生になってようやくロックに目覚めた。そのきっかけがレモンティー。スネークマンショーに入ってた曲で、これはすごい!って一発でしびれちゃった。これ歌ってるのシーナ&ロケットっていうやつらなんだってさとか、ちょっとずつ情報が集まってきて、じゃあシーナ&ロケットのレコード買ってこようってことで、「真空パック」ってデビューアルバムを買ってきて聞いてたんだけど、なんかイマイチ違う感じ。レモンティーで受けた衝撃はなかった。それにはレモンティーも入っていなかったしね。
 
そしたらある日、一緒にシナロケにかぶれちゃってた友達が、「真空パックの前にもう1枚レコード出てるんだってよ。もう廃盤になってるらしいけど、あそこのレンタルレコード屋にあるらしいで」って情報を持ってきてくれて、「せばさっそく借りに行くべ」って借りに行ったらそこにあったのがシーナ&ロケット幻のファーストアルバム「#1」だった。借りて帰ってきてそれに針を落としたら、デデデデデデデデ、ワンツースリーゴー!しぼってー!ぼくのレモンをー!あなたのー!好きなだけー!うおーこれだーっ!って興奮したね。
 
もうすっかりロック少年になったぼくは、チューリップなんて屁くさくなって聞かなくなっていた。空白の9年か10年か、チューリップをまったく聞かない時期があって、その間にチューリップが解散していたことも知らなかった。それがなんの前触れもなくある日突然またチューリップの曲が聞きたくなって再度ハマることになったんだけど、それはさておき、なにしろシーナ&ロケット。
 
高校生の頃はシナロケが好きで好きで朝から晩まで聞いていた。ロックが好きになったもんだから、ほかにはARBとかモッズもよく聞いたな。スターリンはちょっとだけ聞いた。スターリンにはあんまりはまらなかった。洋楽ではクラッシュとジャムを友達の影響で少し聞いた。ローリングストーンズも、鮎川誠がいいって言うから聞いてたけど、じつはあんまりはまってなかった。どっちかというとビートルズのほうが好きだった。なぜかセックスピストルズは聞いたことがなかった。ピストルズにはまるのは大学生になってからだ。
 
そんなロック少年だったんだけど、そのうち、「シナロケの前にサンハウスってバンドがあったんだってよ」って情報が入ってきて、え?なにそれ?聞きてーと思ってたら、ちょうどそのタイミングでサンハウスが一度限りの再結成とかでライブをやったのがレコードになって発売された。「クレイジーダイヤモンド」日比谷野音でのライブ盤。
 
これはガツンときたね。スネークマンショーに入っていたレモンティーを聞いたとき以上の衝撃だった。ARBやモッズはふっとんだ。その頃とりあえず地元の友達同士でバンドを組んでいて、シナロケ、ARB、モッズ、クラッシュ、ジャムのコピーをやってたんだけど、サンハウスを聞いてからはもうサンハウスばっかり。サンハウスの曲ばっかりをコピーして演奏してた。それが浪人時代の夏くらいまでだったかな?そのあとはバンド活動もやめて受験勉強に専念して、翌年の春、なんとか東京の私大にもぐりこむことができた。
 
その大学のキャンパスでぼくを迎えてくれたのが、ウエスタンブーツにラッパズボンの、肩からベースギターをぶら下げた奇妙な男だった。「キミ、音楽好きそうだね。うちのサークルこない?」「はい、お願いします」
 
そのサークルに入って最初に組んだバンドでやった曲が、シーナ&ロケットの「ピンナップ・ベイビー・ブルース」だったのでした。
 
シーナさん、安らかに。
 
 



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ピンナップ・ベイビー・ブルース
作詞:糸井重里 作曲:鮎川誠 歌:ヤスジ(2015.2.14 追悼弾き語り)
 
 

ミミズのラブソング
2015年02月08日(日)


もう2月かー。あと2,3週間もすれば春の気配が漂いだすんじゃないの?それはまだ気が早いか?まぼちぼちでんな。
 
先週の日曜日には久しぶりの桃天集会でした。早い話がバンド練習のことだけど、12月のライブ以来の集合だった。2ヶ月ぶりくらい?2ヶ月なんてほんとあっという間だね。そんなあっという間の2ヵ月後にはまたライブだ。音楽サークルの創立40周年記念ライブ。35周年記念をやったのがついこの前のような気がするけど、あれからもう5年が経ってるのね。何から何まであっという間だね。
 
というわけで、基本的に月一でしかスタジオに入っていないぼくたち桃色天狗としましては、次回ライブまでの練習日は残すところあと2回。もうメニューを決めて通しリハをやらねばなるまいといった感じなんだけど、次回は新曲お披露目します。新曲といっても作ったのは昔だけどね。20年数年前かな?20年なんてあっちゅー間だね。
 
いま桃天でやってる曲の大半はそのころ作った曲ばっかりだ。思えばあのころは何の苦労もなくポンポン曲を書けてたよなあ。今じゃさっぱり書けなくなった。まああのころは時間もたっぷりあったしね。仕事は月に20日で、1日8時間は働いていなかったもん。基本実働3時間くらいだったかな?人生なめんなよってなもんだけど、今にして思えばそれこそバブルの恩恵を受けてたってことかもしれない。そんだけしか働いていなくても月に20万もらってたからね。
 
そんなノスタルジックな話はええねん。そんなバブルなころに作った曲で、これは当時ライブではあんまりやらなかった、というかこの曲を作ってからほどなくしてバンドは解散したから結果的にあんまりやらなかった。そんなわけでこの曲の存在自体をほとんど忘れてたんだけど、こないだふとヤスジの昔懐かし映像を見ていたらこの曲をやってて、その映像はヤスジの弾き語りバージョンだったんだけど、そういえばバンドでやった音源もあったよなと思ってMDを探したら見つかった。
 
そう、昔のライブ音源とかはMDに保存してあるんです。保存してあるってゆうか、昔はライブのときにはMDウォークマンで録音してたから、そのディスクが残ってるってわけ。デジタルの走りだね。でそれを聞いたらけっこういいじゃん!って我ながら感心したりして、これはぜひ桃天でもやろうと思って、今回持ってったら思ったとおりいい感じ。かっちょええ。つかみはOK!てなもんで4月のライブでぶち込みます。
 
先週はじめてみんなで合わせたばっかりだからまだまだ仕上がってないんで、ここではお聞かせできないのが残念だけど、とりあえず昔のバンドのライブ音源をお聞きいただきましょう。まあお聞かせできるようなシロモノでもないんだけど、恥ずかしながらバブルの頃の思い出としてどうかひとつ。けっこうハード。桃天じゃもっとソフトなアレンジでいくよ。いかにも桃天らしいロケンロールでね。
 
そんなこんなで曲のタイトルは、「ミミズのラブソング」 おっとこれは斬新だぜ!と思ったら、なーんとなんと、爆風スランプの曲に同タイトルの曲があるみたい。いやーこれは偶然。まさかこんなタイトルが被るとは、まあ検索の時代だからそれに気がついたわけで、まあいいやね。
 
そういえば桃色天狗ってバンド名も、10年前に思いついたときはほかに1つもなかった。バンド名を考えたときにとりあえず検索してみたんだけど、桃色天狗じゃ1つもヒットしなくて、やったぜおれたち一番乗りでいただきだ!と思っていたら、今や桃色天狗で検索するとヒットするのはBL漫画ばっかり。
 
BLってわかる?ボーイズラブでんがな。ホモ系漫画。といっても読者層はヤングアダルトな女子が中心なんだよね。要するに登場人物が男同士なだけで、内容はレディースコミックと同じなんだと思う。まあ読んだことないからわからんけど、古本屋店主の直感としてはたぶんそう。って読めよって話だけど、ああいうのはパラパラとも読む気がせんわ。そんなこんなでぼくたち硬派!桃色天狗 どうぞよろしく。
 
  



 [DownLoad]
ミミズのラブソング (1994.6.10 恵比寿ギルティにてライブ録音)
作詞・作曲:ヤスジ 編曲・演奏:D-YACK
 
 
 

あけましてチンギスハーン 今年は未(ヒツジ)
2015年01月15日(木)


もたもたしてたらもうすっかり年も明けちゃってますが、とりあえず新年のご挨拶をば。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。って新年に挨拶をするのは日本人として当たり前だと思うけど、最近の若いもんは、、、ってジジィ臭くて申し訳ないけど、ほんと最近の若いもんは挨拶しないよね。普段のおはようございますさえ言わないんだもん、そりゃあけましておめでとうございますなんて言うわけないか。
 
朝の勤務先、そば屋での話ですよ。バイトの若い子達はほんと挨拶しない。別にぼくが嫌われててぼくに対してしないってわけじゃないよ。若いもん同士でもしないし、店長にもしない。普通は出勤してきて職場に入ってきたら真っ先に「おはようございます!」でしょ?それがない。黙ーって入ってきて、いきなり普通におしゃべりを始めてんの。これぞゆとりってやつなんですかね?
 
「挨拶しろ」とかってわざわざ言うことでもないでしょ?そんなの教えることじゃないもんね。それでもそこはぐっとこらえて、ぼくは態度で示すと言うか、こっちから率先して「おはようございます」って若いもんにも声をかけてたんだけど、わかんないんだね。こっちから言わない限り向こうから挨拶してくることはない。アホ臭くなって最近じゃそういうやつらはこっちもしらーん顔だよ。
 
まあ職場がそういう程度の集まりってことなのかね?そんな中にいる自分が、こんなとこにいていいんかね?と常々思いつつも、厳しき現状ゆえなかなか抜け出せずにいる今日このごろ。なんとかせんといかんな。今年こそは抜け出せるようがんばろう。まあ同年代以上のおばちゃんたちはみんなちゃんと常識ある人たちなんだけどね。やっぱゆとり教育の弊害なのかね?と思わざるを得ない現実。中にはちゃんと挨拶できる子もいるけど、そういう子は少数だね。
 
といったところで、新年早々愚痴ってごめんよジョニー。
今年もよろしくね!